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短編歴史小説 信長の夢

天正10年(1582)の5月、毎晩のように同じ悪夢にうなされ、不眠症の織田信長は悪夢から解放されるために、とんでもない事を考えて実行に移します。

   

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8.信長の命令

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黒楽茶碗楽長次郎「大黒(おおぐろ)」写




 徳川家康が安土に来て三日目の昼過ぎ、光秀は信長に呼ばれた。

 何だろうかと不安を感じた。家康の饗応に落ち度はないはずだった。しかし、光秀は信長の側近の者たちに嫌われている事を知っている。誰かがまた、何か悪口を言ったのかもしれない、と恐る恐る信長の待つ二の丸庭園内の茶室に向かった。

 茶室には信長だけでなく、信長の弟、源五郎と愛宕山(あたごやま)の山伏、西之坊がいた。

 光秀は源五郎とも西之坊とも付き合いがあった。千利休(せんのりきゅう)の弟子である源五郎とは何度もお茶会をやったし、西之坊とはよく連歌会(れんがかい)を催していた。西之坊は山伏ではあるが、連歌師宗牧(そうぼく)の弟子でもあった。教養もあり古典にも詳しく、連歌師として生きて行く才能がありながら、そんな生き方を嫌って山伏として気ままに生きていた。

 光秀の顔を見るなり信長は、

「おぬしの饗応役はもう終わりじゃ」と言った。

 光秀は顔から血が引いて行くのを感じた。信長の口から次に出る言葉が恐ろしかったが、信長は、

「じれったいのう。さっさと上がらんか」と言っただけだった。

 光秀は源五郎と西之坊に挨拶すると茶室に上がった。二人とも、何となく様子が変だった。わざと光秀と視線を合わせないようにしているようだった。

 源五郎がお茶を点(た)て始めた。

「サル(秀吉)から、今朝、知らせがあってのう」と信長は言った。

「あの馬鹿が応援を頼むって言うんじゃ。毛利は手ごわいから助けてくれと弱音を吐いて来おったわ。おぬしにも行ってもらおうと思ってのう」

「はっ」と光秀は頭を下げた。

 饗応役の事について怒鳴られるのではないかと思っていたが、違う話だったので一安心していた。しかし、秀吉の援軍として戦(いくさ)に行くのは、あまり、いい気はしなかった。

 秀吉は信長に気にいられて見る見る出世して行った。このまま毛利氏を倒せば、秀吉の立場は光秀を越える事は確実だった。光秀が援軍として活躍しても、手柄はすべて総大将である秀吉のものとなろう。今回の出陣は秀吉の出世を助けるために行くようなものだ。どうせ出陣するなら四国に行きたいと言いたかったが、光秀には言えなかった。

「出雲(いずも)(島根県東部)と石見(いわみ)(島根県西部)の国はおぬしにくれるわ。その代わり、丹波(たんば)(京都府中部と兵庫県中東部)と近江(おうみ)(滋賀県)の志賀郡は召し上げる。いいな?」

「出雲と石見ですか‥‥‥」

「不満か?」

「いえ。しかし、出雲と石見の国は毛利の領国では」

「それをこれから、おぬしが取りに行くんじゃ。失敗したら、おぬしは浪人じゃな」

「そんな‥‥‥」

「浪人するのは嫌か?」

「それはもう、家臣どもが路頭に迷う事となりますので‥‥‥」

「可愛い家臣のためにも毛利を倒す事じゃな」と信長は笑った。

「浪人になったところで、おぬしは困るまい。わしに会う前は、浪人だったんじゃからのう。また、初めからやり直せ」

 光秀は愕然(がくぜん)となった。やはり信長は自分の事をもう必要としていない。きっかけさえあれば、自分を追放しようと考えているに違いないと思った。

 丹波の国と近江志賀郡を取り上げると言う。近江志賀郡の中心である坂本は叡山(えいざん)焼き打ちの時、潰滅(かいめつ)状態にあったのを光秀が苦心して復興し、光秀の本拠地とも言える領地だった。丹波の国は三年前に拝領し、反抗する国人たちを平定して、戦に疲れている領民のために年貢(ねんぐ)の免除をしたり、農地開拓のための治水工事をしたりして、ようやく治世も軌道に乗って来たところだった。それなのに突然、召し上げ、京から遠く離れた出雲と石見をくれると言う。失敗したら、もう帰る場所はないのだ。信長は自分が失敗する事を望んでいるに違いないと思った。

「どうした?」と信長が陽気に言った。

「もっと、嬉しそうな顔をしたらどうじゃ?」

 光秀は何も言わなかった。何を言っても聞いてくれない事は分かっている。追放という言葉が光秀の頭の中をぐるぐると駈け巡っていた。

 信長は楽しそうにニヤニヤしながら俯(うつむ)いたままの光秀を見ていた。

「いいか、よく聞け」と信長は力強い声で言った。

 光秀は苦しそうに歪んだ顔を上げた。

「おぬしはこれから坂本に帰って戦の準備をして亀山に行け。わしは六月の一日に数十人の供を連れて上洛し、本能寺に入る」

 信長がそこで話すのをやめたので光秀は頷(うなづ)いた。

「本能寺は知っておるな?」と信長は聞いた。

「はい」と光秀は答えた。信長がなぜ、そんな事を聞くのか分からなかった。信長が上洛した場合、本能寺を宿所とするのは決まっている事だった。

 よし、と言うように信長は頷いた。

「いいか、よく聞け。おぬしは六月一日の夜中に、すべての兵を引き連れて亀山から京に向かい、二日の明け方に本能寺を攻めろ」

「は?」

「は、ではない。本能寺を攻めるんじゃ」

「何と?」

「おぬしはわしを殺すんじゃ」

 光秀は自分の耳を疑った。源五郎と西之坊を見ると、二人とも俯いたままだった。

「これは命令じゃ。分かったか? もし、わしの命にそむいた場合、どうなるか分かっておろうな?」

「しかし、上様を殺すなどと‥‥‥」

「わしは死にはせん。抜け出す。しかし、信長という男は本能寺で死ぬんじゃ。いいか、わしの死に際(ぎわ)じゃ。なるたけ派手にやるんじゃぞ。何なら京の都中、火の海にしても構わん」

 信長はぞっとするような気味の悪い顔をして大声で笑っていた。光秀の背中を冷たい汗が流れた。

「いいか、誰もがぶったまげる程、大袈裟(おおげさ)にやるんじゃぞ」

「しかし‥‥‥上様の御供の者たちはいかがなさいます。皆、逃げるのですか?」

「馬鹿もん。そんなに大勢で逃げ出したら、わしが死んだ事にはならん。皆、信長と共に死ぬんじゃ。わしの伜でも容赦はするな。奴らが死んだら、それもまた運命じゃ。天下を取る資格などないわ」

「そんな‥‥‥」

「光秀、この事を知っておるのは、今、この場にいる四人だけじゃ。信長を殺してから後は、おぬしの腕次第じゃ。うまくすれば、天下を取る事もできよう。わしはおぬしのやり方を高みの見物と洒落(しゃれ)込むわ。うまくやる事じゃな」

「しかし、上様、どうして、そんなに死に急ぐのです?」

「もう飽きたんじゃ。おぬしの言った通り、後十年もすれば、この天下がすべて、わしの物となろう。それは誰もが考えつく事じゃ‥‥‥わしは今まで誰も考えつかないような生き方をして来た。誰もが、あっと驚くような生き方をのう。後は誰も考えつかないような死に方をする事じゃ。誰もが、わしが今、死ぬとは思うまい。分かるか? それにのう、わしが死んだ後、この世がどう変わって行くのか、この目で見てみたくなったんじゃ。誰が天下を取るかをのう。いいか、派手にやれよ。西之坊を一緒に連れて行け。西之坊とよく相談して、失敗のないようにするんじゃぞ」

「‥‥‥」

 光秀は何と返事をしていいのか分からなかった。信長の命令は正気の沙汰とは言えなかった。気違いじみていた。完全に狂っていた。しかし、逆らえば所領を没収されて、追い出されるに決まっている。

 信長は死ぬ前に、本能寺にて盛大に最後のお茶会をやろうと言っていた。名物の茶道具をすべて持って行って、信長の死の道連れにしようと言っていたが、光秀の耳には入っていなかった。急に目の前が真っ暗になったような気がして、座っているのもやっとの事だった。お茶を飲んでも味なんか全然分からなかった。

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