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短編歴史小説 信長の夢

天正10年(1582)の5月、毎晩のように同じ悪夢にうなされ、不眠症の織田信長は悪夢から解放されるために、とんでもない事を考えて実行に移します。

   

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10.愛宕山

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京都愛宕山と火伏せの祈り




 十日が過ぎた。

 光秀は毎日、悩みながらもどうする事もできず、武装した兵を引き連れて丹波の亀山城(亀岡市)に移っていた。

 亀山城には十三歳になる長男の十五郎がいた。父の跡を継ぐため、昼は汗びっしょりになって武芸の稽古に励み、夜は遅くまで勉学に励んでいる。この先、この息子の将来を保証する事はできなかった。父親として息子に何もしてやれない自分が情けなかった。うまくすれば生きながらえる事はできるが、その可能性は極めて低い。次男の十次郎は筒井順慶(じゅんけい)の養子になり、三人の娘は皆、嫁に行っている。長女は光秀の腹心である明智秀満の妻となり、次女は信長の甥である織田信澄の妻となり、三女は細川忠興(ただおき)の妻となっていた。嫁に行ってはいるが、この先、安心とは言えなかった。妻はもう六年前に亡くなっていたが、妻の死後に迎えた側室が一人いた。家族の者たちを突然、どん底に落とす事など、光秀にはできなかった。

 光秀は信長を恨んだ。殺してしまいたい程、恨んだ。皮肉な事に信長は自分を殺せと命令していた。

 信長の方は、夢の中で自分を殺すのが誰だか分からずに今まで悩んでいたが、自分を殺すのは光秀だと自分で決めたため、幾分、楽になっていた。楽になってはいても、例の夢からは解放されなかった。一日中、刀や槍を振り回してみたり、鉄砲を撃ってみたり、鷹狩りに行って馬を乗り回して疲れ果てて帰って来ても、夢にうなされ、必ず、夜中に目を覚ました。くたくたになるまで何人もの女を抱いてみても、やはり同じだった。寝不足が続き、精神はぼろぼろにまいっていた。

 家康は二十一日に安土を後にし、信長の近習、長谷川秀一に案内されて京都に向かった。同じ日に、信長の長男、信忠は源五郎と共に秀吉を応援するため、兵を引き連れて京都の妙覚寺に入った。

 亀山城にて、武将たちを集め、六月一日に出陣する、それまでに各自、準備を怠りなくせよ、と命じると光秀は西之坊を連れて愛宕山に登った。愛宕山に登りながら光秀は過去を振り返っていた。

 美濃(みの)(岐阜県)の長山(おさやま)城主の伜として生まれた光秀は、叔母が斎藤道三(どうさん)に嫁いだので、小さい頃より道三に可愛がられた。父親が十一歳の時、亡くなってしまったため、道三が父親代わりと言ってもいい程だった。道三のお陰で、兵書や古典など、あらゆる書物に触れる事ができ、連歌や茶の湯も教わった。それらの知識や教養が、信長に仕えてから役に立ったのだった。また、道三は武術にも熱心で、稲葉山の城下には武術道場もあり、光秀は武術の稽古にも励んだ。武術を身に付けた事によって、浪人してからも一人で生きて行く事ができたと言えた。

 二十九歳の時、道三と道三の長男である義竜(よしたつ)との間に争いが始まり、道三は敗れた。道三方だった光秀の長山城も落城し、光秀は浪人となって旅に出た。諸国を旅して、堺にて鉄砲を習い、その腕を見込まれて、三十六歳の時、越前(えちぜん)(福井県)の朝倉家に仕えた。四十歳の時、美濃を平定した信長と出会い、従妹(いとこ)の胡蝶(こちょう)の口添えもあって信長に仕えた。

 十五年間、信長の天下取りを助けて戦に明け暮れ、あげくの果ては、この有り様だった。決行の日が後四日と迫って来ている今になっても、光秀の心は決まらなかった。

 信長を殺し、そして、自分も何者かに殺されるだろう。信長の芝居に付き合って死ぬ程、馬鹿な事はない。

 どうしたらいいんだ‥‥‥

 光秀は愛宕山山頂の白雲寺に着くと、本堂の勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)を参拝して御神籤(おみくじ)を引いた。自分では決心がつかないので、信仰している勝軍地蔵に決めてもらおうと思った。

 吉が出れば本能寺へ、凶が出れば秀吉の援軍として備中に向かおう。備中に行って合戦で活躍すれば、信長も自分を裏切り者として成敗する事はあるまい。今回の事は忘れてくれるに違いない。きっと、魔が差したんだ。あれは冗談だ。本気にする奴があるかと笑いとばすに違いないと光秀は自分に言い聞かせて、御神籤を引いた。

 御神籤は大吉と出た。

 馬鹿な、と光秀は心を静めて、やり直した。また、大吉だった。嘘だ、こんなはずはないと、光秀は印(いん)を結び、真言(しんごん)を唱えながら、もう一度、引いた。やはり、大吉だった。

「本能寺か‥‥‥わしには、こんな生き方しかできんのか‥‥‥」

 やるしかなかった。

 その夜、山内の威徳院(いとくいん)に泊まった光秀は次の日、晴れ晴れとした顔で、連歌師里村紹巴(じょうは)、西之坊らと百韻(いん)の連歌を詠み、奥の院の太郎坊に奉納した。

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