天正10年(1582)の5月、毎晩のように同じ悪夢にうなされ、不眠症の織田信長は悪夢から解放されるために、とんでもない事を考えて実行に移します。
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祭りの三日後、信長は明智光秀と会っていた。明日、徳川家康が安土に来るので、その饗応(きょうおう)役を命じるために、光秀の居城である坂本城から呼んだのであった。
信長は上段の間の虎皮の上に座り、かたわらの文机(ふづくえ)の上に置いてある地球儀を回しながら光秀に段取りを話した。
光秀はかしこまって話を聞いていた。
家康が前回の戦(いくさ)の褒美(ほうび)として駿河(するが)の国(静岡県)を与えられたお礼をするために安土に来るというのは聞いていた。そして、その饗応役を命じられるだろう事も予測していた。
家康は信長の同盟者である。その家康を接待するとなれば、一軍の指揮を任せられる程の武将でなければならない。今、その任務に応じるべき武将は自分しかいなかった。他の武将たちは皆、戦をしている。柴田勝家は北陸で上杉軍と戦っている。滝川一益(かずます)は関東を平定するため上野(こうづけ)(群馬県)にいる。羽柴秀吉は備中(びっちゅう)(岡山県)で毛利軍と戦っている。そして、丹羽(にわ)長秀は信長の三男、信孝と共に四国征伐(せいばつ)に向かうため、今、戦の準備をしている。手があいているのは自分だけだった。
四国征伐は絶対に自分が命じられるものと思っていた光秀は失望した。今まで四国の長曾我部(ちょうそかべ)氏との交渉を担当していたのは光秀だった。当然、四国征伐の総大将は自分が任命されると思っていた。ところが、その任は総大将に信長の三男、信孝、その補佐として丹羽長秀が任命されたのだった。総大将の信孝は信長の息子なので仕方がないとは思うが、丹羽長秀がその補佐をするというのは納得できなかった。信長がわざわざ、自分に活躍の場を与えないようにしているとしか思えなかった。
光秀は得意そうに地球儀を回している信長を見ながら、自分の事をもう必要ないと思っているのだろうかと心配していた。林秀貞、佐久間信盛、安藤守就(もりなり)のように、自分も追放されてしまうのではないかと恐れた。
佐久間信盛は石山本願寺攻めの総大将だったが、四年間にわたる包囲作戦を失敗し、怠慢(たいまん)であるとして高野山に追放された。林秀貞は織田家の家老であったが、二十年以上も前、信長に逆らったという無茶苦茶な理由で追放され、安藤守就は武田氏に内通したとして追放された。要するに、信長が必要ないと思えば、理由などに関係なく、所領を没収されて追放されてしまうのだった。そして、どんな言い訳をしようとも信長は一切聞かなかった。次は自分の番かもしれないと光秀は恐れた。
家康を迎えるための段取りを一通り話すと、信長は上段の間から下り、光秀を誘って天主に登った。
光秀は何事だろうと不思議に思いながら信長の後を追った。いつもの気まぐれだろうが、今日の信長はなぜか機嫌がいいようだった。信長は楽しそうに、各階がどうなっているのかを詳しく説明しながら登って行った。光秀がこの天主の中を見て回ったのは初めてではなかった。しかし、信長と二人だけで上まで行くのは初めてだった。
安土城はまさに天下の主である信長が住むにふさわしい、贅(ぜい)の限りを尽くした建物だった。山の上にそびえ立つ、この天主を見上げて驚かない者は誰一人としていない。今まで日本にはなかった、まったく新しく豪華な建物だった。高い石垣の上に五層もある高い建物が載っている。三層までが和風建築で、その上に法隆寺の夢殿のような八角堂があり、その上に黄金色に輝く唐様(からよう)の仏堂が載っているという、信長にしか考え出せないような奇抜な建物だった。今までの日本建築にない様々な色と贅沢な黄金をふんだんに使って見る者を圧倒させた。
外見は五層だが、内部は七階になっている。石垣の内部が地下一階の倉庫になっていて、石垣上の一階は公的な場として正式な対面の間もあり、客の接待のために用いられた。二階は信長の私的な場で、略式の対面の間、書院、居間、寝室などがある。三階は家族の住まいになっていて、奥方や側室、子供たちが暮らしていた。三階の屋根の上に、南と北に張り出した四畳半茶室の付いた屋根裏部屋があり、そこが四階になっている。五階の八角堂、六階の仏堂には、勾欄(こうらん)(てすり)の付いた回廊があり、展望台になっていた。
各階は、狩野永徳(えいとく)一門によって描かれた障壁画(しょうへきが)で飾られ、和室だけでなく、中国風の部屋や南蛮風の部屋など、信長独自の部屋がいくつもあった。勿論、内装にも眩(まぶ)しい程の黄金が使われていた。
信長は五階の八角堂まで行くと回廊に出て景色を眺めた。光秀は室内で控えていたが、信長に言われ、回廊まで出て回りの景色を楽しんだ。
「いい眺めじゃのう」と信長は言った。
「はい」と光秀は答えた。
「嘘、言うな。霧で何も見えんわ」
「しかし‥‥‥」
「もう、いい。おぬしの屁理屈(へりくつ)など聞きたくもないわ」
信長は回廊を一回りすると振り返って、
「光秀よ。おぬしはいくつになった?」と聞いた。
「五十五になりましたが」と光秀は一歩、引き下がって答えた。
「ほう、五十五か‥‥‥」と信長は驚いたように光秀を見ていた。
「よう生きたのう」
「はい。お陰様で‥‥‥」と言ってから、光秀は後悔した。お陰様などと言うと、信長からまた皮肉を言われそうな気がしたが、信長は何も言わなかった。
「五十五か‥‥‥光秀よ、わしは幾つまで生きられると思う? 遠慮なく言ってみよ」
「それは‥‥‥多分、七十位まで生きるかと」
「七十じゃと? 馬鹿め、このわしに後二十年も生きろと言うのか?」
「はい。あと十年もしたら天下はすべて上様のものとなりましょう。その後の十年間、上様にはのんびりしていただきたいと思います」
「ふん。それで、わしはどのような死に方をするんじゃ?」
「勿論、御家族や家臣の者たちに囲まれて大往生となりましょう」
「くだらん。それは普通の人間の死に方じゃ。神であるわしの死に方ではない。神として、どんな死に方をすべきじゃと思う?」
「それは‥‥‥」
「おぬし程の知恵者でも、神の死に様は分からんのか?」
「はっ、ただ、耶蘇教(やそきょう)の神は磔(はりつけ)にされたとか、そして、復活したと聞いております」
「その事なら、わしも聞いたわ。磔など、神に似合った死に方ではないわ。わしは今まで何人もの奴らを磔にして来た。奴らが皆、神になったと言うのか?」
「いえ、それは‥‥‥」
光秀は額の汗を拭くと、回廊から部屋の中に戻った。信長が何を考えているのか、光秀にはまったく分からなかった。
「しかし、復活というのは面白いのう。どうやって、復活したんじゃ?」
「それは‥‥‥」
光秀はぼうっとしたまま、壁に描いてあるお釈迦(しゃか)様の絵を眺めていた。
「わしはのう、まもなく死ぬような気がするんじゃ」と信長は光秀に背を向けて、霧の琵琶湖を眺めながら言った。
「毎晩、同じ夢を見るんじゃ。何者かが、このわしを殺して天下を我物にしておるんじゃ。それが誰なのかが分からんのじゃよ。夢の中でははっきりと分かるんじゃがの、目が覚めると、そいつが誰なのか、どうしても思い出せんのじゃ‥‥‥光秀よ、わしを殺すのは誰じゃと思う?」
「‥‥‥」
「言えんのか?」と信長は振り返ると光秀を睨(にら)んだ。
「今の世に、上様を殺す程の者など、おるはずもございません」
「ふん。もしかしたら、わしを殺すのはおぬしではないのか?」
「滅相もございません。わたしにそんな大それた事など‥‥‥」
光秀は真っ青な顔をして、かしこまっていた。
「まあ、おぬしにはできまいの。仮にできたとしても、おぬしには天下は取れまい。おぬしは自分が大将になるよりも、大将を補佐する役の方が似合っておる」
確かに信長の言う通りだった。信長がいたからこそ、今の自分があるのだ。もし、信長が急にいなくなったら、自分はどうしたらいいのか、見当もつかなかった。
「一体、誰なんじゃ? わしが死んだ後、一体、誰が天下を取るんじゃ。その事が分からん事には死にきれんわ。のう、光秀よ」
「‥‥‥」
「下がれ」と言うと信長は光秀に背を向けた。
光秀は頭を下げると階段を降りて行った。
信長が突拍子もない事を言うのには慣れてはいたが、信長の口から死という言葉が出るとは思ってもみなかった。今までに何万人もの人を殺しておきながら、やはり、信長も死を恐れているのだろうか、と不思議に思った。信長は自分はまもなく死ぬと言っていたが、確かに今日の信長の顔付きは異様だった。死神にでも取り憑(つ)かれたのだろうかと思いながら、光秀は天主を後にした。
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