天正10年(1582)の5月、毎晩のように同じ悪夢にうなされ、不眠症の織田信長は悪夢から解放されるために、とんでもない事を考えて実行に移します。
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次の日、西之坊が言っていた通り、勅使(ちょくし)がやって来た。信長は歓迎し、贅沢な料理と南蛮(なんばん)の酒で持て成したが、はっきりとした返事はしなかった。
将軍になろうと思えば、わざわざ、天皇から任命されなくても実力をもってなれると思っている。天皇は信長を将軍に任命する事によって、信長よりも優位な立場に立とうとしているが、今の信長なら、やろうと思えば天皇をすげ替える事も可能だったし、朝廷を潰す事も可能だった。
去年までは本気でその事を考えていた。天皇家を潰して、自分を神と祀(まつ)る新しい天下を作ろうと思っていた。しかし、武田家を滅ぼしてからというもの、何となく、張り詰めていた糸が切れたかのように、そんな事はどうでもいいと思うようになっていた。やればできると分かっている事などやってみても面白くも何ともなかった。
勅使は三日間、安土に滞在したが、信長の返事が得られないまま、肩を落として京都に帰って行った。
勅使が帰った後、信長は一人、天主に登った。最上階から遠眼鏡(とおめがね)で雨に煙る琵琶湖を眺めながら、自分の死の事を考えていた。
わしが死んだ後、世の中はどうなって行くんじゃろうか?
それをこの目で見てみたいと思った。神ならばそれを知る事ができるに違いない。回りの者に自分の存在を神だと認めさせる事はできても、実際に神のように、すべてを見通す事はできなかった。
自分がどんな死に様をするのかも分からない。年老いて惨(みじ)めな死に方はしたくなかったし、何者か分からない者に暗殺されるような死に方も絶対にしたくなかった。世間をあっと言わせるような死に方でなくては、自分にふさわしくはない。
上杉謙信は酒を飲み過ぎて死んだと言う。
武田信玄は女とやり過ぎて死んだと言う。
どっちも大した死に方ではない。
「あっと言わせる死に方か‥‥‥」と呟(つぶや)きながら遠眼鏡を覗いていた。
ふいに遠眼鏡を目から離すと、一人ニヤニヤしながら、
「あっと言わせる死に方か‥‥‥」と信長は何度も頷(うなづ)いていた。
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