天正10年(1582)の5月、毎晩のように同じ悪夢にうなされ、不眠症の織田信長は悪夢から解放されるために、とんでもない事を考えて実行に移します。
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五月の十一日、安土の城下は賑やかだった。
昼過ぎより、あちこちで笛や太鼓、法螺(ほら)貝が鳴り響き、大通りには露店がずらりと並んでいた。
着飾った娘たちはキャーキャー言いながら道を行き交い、男衆はねじり鉢巻をして、金銀で飾られた神輿(みこし)を担いで練り回っていた。
夜になると、天主は無数の提灯(ちょうちん)の明かりで飾られ、琵琶湖に浮かべた何艘もの船には松明(たいまつ)が灯(とも)された。まるで、この世のものとは思えない、極楽を思わせるような華麗な夜景が出現した。この夜景を目にした者たちは、信長のお陰で、長く続いた乱世もまもなく終わるに違いないと確信していた。
今日は前夜祭、そして、明日が安土城内にある摠見寺(そうけんじ)の縁日であった。摠見寺の本尊の生誕を祝って町中みんなが浮かれていた。その本尊とは信長自身だった。
信長は自分自身を本尊として祀り上げ、安土を訪れる者、全員に『盆山(ぼんさん)』と呼ばれる奇妙な石を、自分の化身として拝ませていたのであった。
祭りの日、信長は摠見寺の本堂で、南蛮人の衣装をまとって南蛮風の椅子に座り、神のごとくに振る舞い、祝いに訪れる者たちに気前よく金銀をばらまいていた。信長の左右には小姓(こしょう)たちが、やはり南蛮風の衣装で並び、後ろには侍女(じじょ)たちが天女のような格好をして控えていた。中でも弥介(やすけ)と呼ばれる身の丈(たけ)六尺余り(約百八十五センチ)もある黒人の存在は目立っていた。
誰もが信長の生誕を祝って浮かれ騒いでいたが、祭りの最中にも、信長の機嫌をそこねて首をはねられた者が数十人いた。
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